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【修正履歴:2025年3月25日一部追記】
オズの魔法使いの前日譚を描いた大ヒットミュージカル「ウィキッド」の映画版、「ウィキッド ふたりの魔女」がついに3月7日に公開されました。
すでに多くの方がご覧になっているようで、日本での大ヒットも間違いなし!と言っていいようです。
今回は映画の各シーンについて、「このシーンの意味はどういうこと?」を、詳しく解説します。
物語前半となるパート1には、パート2で伏線回収される要素も含まれており、これについてはネタばらしを控えています。
なお、一部考察が含まれること、2作目で違った解釈になる可能性があることも含まれます。随時、加筆・修正しますが、あらかじめご了承ください。
※以降、1900年に出版された「オズの魔法使い」を「原作」と表記しています。
この記事のもくじ
!重大なネタバレが含まれます!
この記事には映画の重大なネタバレが含まれます。
一部内容は鑑賞前に知っておくことで理解度を高める手助けにもなりますが、原則、鑑賞後に楽しむ目的として作成しています。
必ず映画鑑賞後にお楽しみください。
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水をかけられて死んだエルファバ
映画はエルファバが死んだシーンから始まります。
そして、グリンダの語りによって、少女に水をかけられ死んだことが明かされます。
原作では、ドロシーが東の魔女を倒して手に入れた銀の靴をはいており、それを入手したい西の魔女が魔法を使って奪い取ってしまいます。
怒ったドロシーはそばにあったバケツをつかみあげ、魔女の頭から水をかけるのです。そして魔女は溶けて死んでしまうというストーリーです。
映画では魔女によって腕に火をつけられたカカシを助けるために水をかけたところ、魔女にも水がかかり溶けてしまう設定となっています。
なぜ水をかけられると死んでしまうのかについては、パート2で描かれるはずです。
冒頭で歩いている人たち
エルファバの死が語られた後にオズの国が空撮で登場しますが、左下の黄色いレンガの道(イエローブリックロード)を歩く人影を見ることができます。
これは原作オズの魔法使いの、少女ドロシー、愛犬のトト、脳みそが欲しいカカシ、人の心が欲しいブリキの木こり、勇気が欲しいライオンです。
ドロシーがほうきを右手に持っており、これはドロシーがエルファバを倒し、その証拠として持ち帰っているということで間違いなさそうです。
家に帰るためオズの願いを引き受ける
ドロシーは家ごと竜巻に飛ばされカンザスからオズの国にやってきました。
オズの魔法使いであれば、家に帰りたいという願いを、叶えてくれると信じているからです。
原作では西の魔女(エルファバのことですが、原作では名前はついていません)を殺してくるだけの命令でした。
1939年の映画「オズの魔法使」では、魔女を殺した証拠として、ほうきを持ち帰ることを命令しています。
この場面では映画版の設定が採用されているようです。
ミュージカルと映画の原作となったグレゴリーマグワイアの小説、「ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語」は、原作と映画を元に構成された物語です。
そのため今作でも1939年の映画がモチーフとして使われている可能性があります。ちなみに大きく表示されるタイトルも、似た感じで作られています。
マンチキンランド
プロローグではマンチキンランドで、悪い魔女が死んだことへのお祝いが行われています。
地面には黄色いレンガの道が渦を巻くように描かれており、映画「オズの魔法使」で登場するシーンとそっくりです。
この黄色い道をたどっていくことでエメラルドシティにたどり着くとされていて、ドロシーはマンチキンランドに家ごと墜落し、この道を頼りにエメラルドシティへ向かっていきました。
エルファバたちが初めてオズと対面した際、オズランドの模型を見せられます。その際に道の色を何色にするかというくだりがありましたよね。グリンダが黄色が良いと提案していましたが、実際にそれが採用されたということになります。
グリンダの登場
グリンダが初めて現れるシーンでは、シャボン玉に乗ってきますが、このシーンは映画「オズの魔法使」で使われたモチーフがそのまま流用されています。
原作ではグリンダは南の良い魔女であり、ウィンキー国をおさめています。
そこへドロシーたちが向かって願い事を叶えてもらうのですが、原作ではシャボン玉に乗って現れるシーンは描かれていません。
シャボン玉の乗り物
グリンダが乗っているシャボン玉が出る謎の近未来的な乗り物は、おそらくオズの発明品です。
しかも実際に飛んでいるのではなく、飛んでいるようにトリックを使っている可能性があります。
これはオズの初登場のシーンから推測できるのですが、オズはトリックを使って人を欺くことに長けている人物です。
最終的にエルファバに見破られますが、オズは魔法を使うことができません。またグリンダも魔法を使うことができない事は序盤から描かれています。
なのであの装置は、見た目を派手にし純粋なマンチキンランドの人々に魔法だと思わせており、実際には機械仕掛けになっています。その証拠として、グリンダが帰ろうとした時にシャボン玉を作るのですが、足元のスイッチを踏んでいるシーンが描かれています。
緑色の謎の飲み物
グリンダが語る話の中で、エルファバの母の不倫が描かれています。その際に母は緑色の飲み物を飲まされます。
「緑色の薬」と解釈されがちですが、実際の歌詞では「緑のエリクサー」(Green Elixir)と表現されています。
エリクサーはゲームの中にも登場し、体力と魔法を同時に回復する希少な飲み物として扱われています。
エナジードリンクもエリクサーと呼ばれているそうです。錬金術師が用いる霊薬でもあり、どんな病気も治し、不老不死の効果があるとも言われています。
なので、不倫相手の男性が持ってきたのは、気分を盛り上げるためのエナジードリンクのような物か、ただの水を霊薬と偽って飲ませたなどと考えられます。
エリクサーにはアルコールは含まれないので、お酒ではないとも言えるのですが、酔わせるためにお酒をエリクサーと言い換えている可能性もあります。
なお、劇団四季のミュージカルでは「飲みなよこの酒を♪」と歌われています。おそらくこれは意訳で、日本人にも分かりやすいように「お酒」と表現しているかと考えます。
緑色のビンは原作にも登場します。この登場シーンについて書いてしまうと、物語の核心に触れてしまうことになります。ですので、登場シーンについてはパート2公開後に補足したいと考えています。
エルファバの色はこの飲み物のせい?
エルファバの肌が緑色になった原因として、緑色のビンに入った液体のせいだと思われがちですが、そうではないと考えられます。
魔法使いとしての素質と才能を持っていたため、人と違う部分が体に出てきたというのがその理由かと考察されます。
それならばなぜ「出産前に緑色のビンの液体を飲むシーンをわざわざ出す必要があるの?」と言われそうですが、理由の一つが「原作でも登場するから」で、もう一つの理由はこのシーンが大切な伏線となっているからです。
詳しく理由を書いてしまうと、パート2で明かされる謎のことも含んでしまうため伏せておきます。公開後に詳しく書き足しますね。
ネッサローズの銀のクツ
ネッサローズは生まれつき足が不自由で、車椅子でシズ大学の学生生活をスタートします。
ネッサローズのことを溺愛している父は、入学祝いに銀色のクツをプレゼントします。
この靴はアップで映るなど象徴的にも扱われています。
車椅子で生活しており歩くことができないネッサローズに、これほどの靴は不要にも感じられますが、パート2への伏線も含まれているため目立つようにされているようです。
詳しくはパート2公開後に補足します。
エルファバを嫌う父
溺愛するネッサローズには豪華なクツを送るほどなのに対して、エルファバには冷たい態度で、ネッサの面倒を見ろと命令している父。
あまりの扱いの酷さに見ていて辛くなるものがあります。
エルファバに対して過剰に厳しいのは、立場のある人間なので緑色の肌を持つ異質な娘を持つことを恥としているのでしょう。
またエルファバが誕生したことで、父は妊娠中の母にオシロイバナをたくさん食べさせます。その影響でネッサは永遠に足が動かなくなり、母も出産時に亡くなってしまうのです。
父は、緑色のエルファバさえ生まれなければ、オシロイバナを食べさせることもなく、ネッサの足も妻の死もなかったとうらんでいるのでしょう。何にしても身勝手すぎる言い分です。
実際に足が不自由な俳優を起用
ネッサローズの役を演じたマリッサ・ボーディは、役柄だけではなく足が不自由で、日常的に車椅子を利用している俳優さんです。
そのため、映画の中でも器用に車椅子を動かしている姿を見ることができます。
子どもの頃から俳優の勉強をしてきたそうですが、11歳の時に交通事故で足に障害を負ってしまいます。それでも俳優への情熱は冷めることなく学びを続け、今作においてスクリーンデビューを果たしました。
逆境に負けず希望を持ち、目的に向かって突き進んでいった彼女の姿は本作と通ずる部分があり、まさに適役だと言えるでしょう。
オシロイバナとは?
オシロイバナの種を割ると中に白い粉が入っていて、それを肌につけると「おしろい」のように白く伸ばすことができ、昔は子どものお化粧遊びとしても使われていました。
その性質もあって、肌が白くなると信じ込みオシロイバナを食べさせたのでしょう。いきさつについては詳細に描かれていませんが、呪術師などに相談して、根拠もないような方法を信じ込まされたのかもしれません。
他作品でオシロイバナを堕胎薬として用いているとのことで、堕胎させる目的として使用したという考察も見られます。実際、オシロイバナには毒性があり、腹痛や嘔吐などの中毒症状があります。しかし、それが堕胎に結びつく根拠は示されていません。
もし父が堕胎目的であったとしたら、ネッサのことも邪険に扱い、エルファバに世話を任せ関わりを避けていたでしょう。
あれだけ甘やかしているということは、生まれることを望んでいた事に間違いはないはずです。
ただし奥さんの死とネッサの障害については、オシロイバナを大量に食べさせたことが原因である可能性はあります。
ボックのコンプレックス
グリンダに恋焦がれ付きまとっているのがボックです。
身長が低いことをコンプレックスにしており、グリンダからも「ビッグ」とからかわれるシーンも登場します。
本の上に立ってフィエロに対抗するシーンもあるなど、ネッサと仲良くなるまでは身長のことばかりが引き合いに出されます。
ボックは単に身長が低いだけではなく、マンチキンランドの出身者であることが理由なのです。
マンチキンの住民はみんな背が低い
マンチキンランドの住民は、大人でも1m程度の身長しかありません。
さすがに今作の映画ではグリンダより小さいくらいですが、映画「オズの魔法使」では、小人症の俳優さんたちを集めて撮影されています。
図書館でフィエロが歌い踊るシーンがありますが、ボックがネッサをダンスに誘った後、ネッサはボックに誘われたと言わずに「マンチキン・ボーイ」(Munchkin Boy)と表現しています。
小さな男の子のような表現として使っているのかは不明ですが、オズの世界においてはそれに近い言い回しがされているのでしょう。それもあってボックはコンプレックスを持っているという解釈ができそうです。
エルファバのジャンプ
エルファバの魔力に気づいたマダム・モリブルはシズ大学への入学を勧めます。
自分が初めて認められたことに浮き足だち、「The Wizard and I」を歌唱しながら、崖へと走っていくシーンがあります。その際、不自然なジャンプをするシーンが挿入されています。
エルファバは理性を失った時に自分でもコントロールできないほどの魔力を発生させます。
子どもの頃の石が飛んでいくシーン、ネッサの車椅子が浮かぶシーン、コインが飛んでいくシーン、花が浮かぶシーン。全てに共通しているのは「浮遊魔法」だということです。
本人はこの頃、意図的に魔法を発動させることはできませんが、不自然なジャンプのシーンは心の底から喜びを表現している場面であり、通常の理性のリミッターを超えていることは確実です。そのため思いがけず浮遊魔法が発動し、知らず知らずのうちに自分自身が少し飛んでしまったということを表しているのかもしれません。
ウィキッドのキャッチコピーに「飛べることをまだ知らないだけ」というのがありますが、このシーンがまさにそれを表しているように思えます。
動物はしゃべるな!
衝撃的な場面として、ヤギのディラモンド教授の講義シーンがあります。
そこでは「動物はしゃべるな!」という悲しい文字が書かれている事を見てしまいます。
物語終盤のオズとマダム・モリブルの会話から、そもそもの首謀者がオズであることがわかります。
しかし、その理由についてはウィキッドの原作やミュージカル本を含め語られてはいません。そこで、なぜオズは動物が話すことに嫌悪感を抱いているのかを考察する必要がでてきます。
なぜ動物が話すことに反対なのか?
原作を読むと分かりますが、もともとオズは人間界からやってきたサーカスの客寄せでした。
その前には腹話術師をやっていたため、声を変えるのが得意であの巨大な顔のマシンで怖い声を出せたのです。
ここからは完全な考察となりますが、人間の世界では動物は話さず立場も人と対等ではありません。
ドロシーが住んでいたカンザスも家畜としてヤギや豚がいるような土地柄で、オズの出身地もそこに近い場所です。
オズは気球のトラブルで風に飛ばされ、この国に到着し、大魔法使いとして人を欺きました。(理由については後述します。)
自分の優越感のために人をだまし、エメラルドシティを作らせたのですが、国を維持していくためには邪魔な存在も出てくるわけです。
その中の一つが「言葉を話し人と同等に生きている動物」の存在が邪魔(もしくは鼻につく)だったのではないでしょうか。
オズが勤めていたのはサーカス団で、動物は人に命令されて働かされています。
そんな動物たちが自分の考えに意見してくることは言語道断であり、ねじれた意味での治安維持の目的で、まずは話す動物の排除から行ったのではないかと考察しています。
また違った考察があれば、コメント欄でご意見を聞かせて下さい。
なお、原作にもドロシーたちと話す動物が登場し、気弱な話せるライオンもドロシーと共に旅に出ます。オズの話せる動物の排除命令は完全には達成できずに、エルファバが守り抜いたということになります。
眠る魔法
ディラモンド教授の2回目の講義では、教授が連行されてしまい、代わりの教授がやってきます。
その授業は残酷なもので、オリの中にライオンの赤ちゃんを閉じ込め、話せなくするというものでした。
その行為に理性を失ったエルファバは、魔法を発動させクラスメートを眠らせます。
この時にかけた魔法は、眠る魔法ではなく、花の花粉によるものです。
死を呼ぶお花畑
このシーンではエルファバがディラモンド教授のために持参した花が浮遊するのですが、この花はポピーで、日本語字幕では「ケシ」と翻訳されています。
ケシといえば麻薬の原料となるものですが、原作では「死を呼ぶ花畑」として登場します。
オズの国では、ポピーが群生している場所でニオイを嗅いでしまうと永遠の眠りについてしまうとされており、誰かに遠くまで連れ出してもらわないと目覚めることはできません。
生き物ではないカカシとブリキの木こりは平気でしたが、ドロシー、トト、ライオンはここで眠ってしまい、後に助け出されました。
今作では花粉に置き換えられていますが、原作と同じように眠りを誘発するアイテムとして使われています。
ポピーは至る所に登場しており、フィエロが見送りで胸元に刺していたのもそうです。
フィエロだけ魔法にかからなかった理由
このシーンではエルファバとフィエロがライオンの赤ちゃんを奪って森へと向かいます。
不思議なのはフィエロだけが魔法にかからなかったことで、ミュージカルでもその理由は語られていません。
ですのでここも考察となりますが、エルファバはフィエロなら助けてくれると思っていたからではないでしょうか。
フィエロの事が好きだったからという考察もありえますが、フィエロに対して意識を向けるのはライオン事件以降で、それまではにおわせるシーンもありません。
フィエロへの恋心を綴った「I’m not that girl」を歌うのもこのあとです。この事件をきっかけに、自分が思い描く行動を取ってくれた彼に、気を惹かれたと考える方が自然ではないでしょうか。
型にはまらない彼なら助けてくれると信じていた
エルファバがフィエロを選んだのはなぜでしょうか?
親友であるグリンダでも、人の良いボックでもありませんでした。
グリンダは人の見た目を気にしている女の子で、優等生を目指しています。そんな子が協力してくれる見込みも薄く、エルファバとしても彼女の事を気遣い巻き込まなかったのではと考えられます。
ボックも正義感がありそうで適任者の一人ですが、なにせ度胸がなさそうなので考えられなかったのかもしれません。ネッサの事を大切にしてくれている彼のことを考えると、巻き込むのは申し訳ないと思ったのでしょう。
フィエロになった理由は単純に、後々大きな問題になりにくいと考えたからではないでしょうか。
フィエロはチャラチャラしていますが、ウィンキー国の王子様で権力も持っています。
いくら正義感とはいえ、授業で使うライオンを盗み出し逃亡したら退学程度では済まされません。ですが王子様であるフィエロを退学させると下手をすると戦争にもなりそうです。
エルファバはもしかしたらそこを利用したのかもしれません。
それともう一つ、フィエロが型にはまる人物ではなかった事を、図書館で見ていたからというのもあるかと思います。
規律を守って真面目に生きるのとは違い、その場その場の刹那で生きているような人柄なので、彼なら助けてくれると期待をかけたのではないでしょうか。
他にも考察がありましたら、コメント欄で教えてください。
天気を操る魔法
エルファバが、エメラルドシティの招待状を受け取った後、天候が悪化し雨が降ってきます。
その雨を魔法でやませたのが、マダム・モリブルです。彼女は天候を操る魔法を使うことができるのです。
突然の雨で違和感もあり、短いシーンなのですが、パート2に関わる重要な伏線となっています。
詳細についてはパート2公開後に追記します。
エメラルドシティの演劇
エメラルドシティの中心地では「ウィゾマニア」というミュージカルが行われています。
ミュージカル版のウィキッドでは短く歌われるのですが、映画版ではオズの成り立ちを、「エメラルド・シティ・プレイヤーズが主演する オズの魔法使い 真実の物語」として演じられています。
内容が少し分かりづらいのですが、要約するとこんな感じです。
オマハ、オマハ
ウィゾマニアの劇中でグリムリーを読むシーンで、ホログラムとして現れた男が「オマハ、オマハ」と呪文を唱えます。
この「オマハ」という呪文、実はオズの出身地のことです。
映画「オズの魔法使」のラストシーンでは、オズが「STATE FAIR OMAHA」とデザインされた気球に乗り、ドロシーたちを置き去りに飛び去ってしまいます。
オズの国に到着した時、住人たちに詰め寄られたオズは、グリムリーを読めるふりをして「オマハ」と言ったのでしょう。人を欺くことに長けているオズにとっては、読んでいるふりをすることぐらいは朝飯前だったはずです。
巨大な顔型のマシン
エルファバたちがオズの部屋に通された時、初めて対面して驚くのが巨大な顔型のマシンです。
わざわざこんなものを作る必要はないかと思われますが、ちゃんとした理由があります。
オズは魔法の力を持っていません。ですが、衛兵を含め、国中の人たちに偉大な魔法使いであると思われ続けないといけないのです。
そこで巨大なオブジェを用意し、魔法を使っているかのように見せかけ、本人は決して人々に姿を見せないのです。
原作では、ドロシーが巨大な首、かかしが世にも美しい女性、ブリキの木こりが世にも恐ろしい獣、ライオンが火の玉の姿で対面しています。
オズとマダム・モリブル
真の姿を見せないオズは、マダム・モリブルには姿を見せるほど強い信頼関係で結ばれています。しかも彼女はオズが魔法を使えないことも知っています。
オズが彼女をそばに付けたのは「魔法が使えたから」が理由であることは確実です。
しかし、シズ大学の学長を務める彼女でさえ、使える魔法は天候を操る程度で、グリムリーも読み解くことができません。
マダム・モリブルはオズと共謀し、シズ大学で優秀な学生を集めながら、魔法力の強い人材を探していたのは確実です。グリムリーを解読し、自分たちが高名な賢者として国を治める野望を持っていたのでしょう。
グリムリー
オズの部屋に保管されている呪文書が「グリムリー」です。
この国にオズが到着する以前から存在しており、賢者たちが全ての魔法を、秘密の言葉で書き記したとされています。
オズはこの本を読める唯一の存在として崇拝されていますが、民衆を騙しているだけで、実際は読むことができません。
事実上、現在は読める人は誰もいないとされていますが、エルファバが現れ読み解きました。
賢者でしか読めない文字を解読し、エルファバがいかに魔法の才能があるかを証明した瞬間です。
優秀な魔法使いをそばに置いておきたいという意味は、どちらかというとグリムリを読める魔法使いをそばに置いておきたいという解釈になります。この呪文書を活用することで、意に反する民衆を排除し、国の権力者として居続けたい欲求があるからです。
エルファバを説得しなかった理由
エルファバは、誰も読むことができないグリムリーを読める逸材です。
オズにとって待ち望んだ人物が目の前に現れたにもかかわらず、逃げ出したエルファバをすぐに犯罪者に仕立て上げ、マダム・モリブルも彼女が邪悪な魔女「ウィキッド」であると放送を流してしまいます。
一度や二度逃げても何回か説得すれば良いのに、ここからの展開は早く、衛兵たちも最後に彼女を見上げて「彼女は邪悪だ、彼女を殺せ!」と抹殺命令が出ています。
オズとマダム・モリブルが彼女を殺してまでも、ここまで急いだ理由は簡単で、自分たちの真実の姿を確実にバラされるからです。
エルファバは過去の行動からも正義感の塊であり、曲がったことを許しません。そんな性格なのですぐに噂をばらまくでしょうし、エルファバの言葉にみんなが耳を傾けることも恐れていたのでしょう。
魔女を死ぬほどおそれている
もう一つの理由はエルファバがグリムリーを解読できることです。
オズたちは何が書いてあるかは知りもしないでしょうが、それゆえに強大な力を手に入れて復讐されることを恐れているのです。
原作でオズは「悪い魔女を死ぬほどおそれてきた」とドロシーたちに話す場面があります。
保管されていた熱気球
エルファバがグリンダと逃亡した先の物置には熱気球が保管されていました。
この熱気球はオズが人間界から乗ってきたもので間違いないでしょう。
熱気球はこの場面以外にも、エルファバに招待状を届けるマシンやウィゾマニアの歌詞の中にも登場し、オズを象徴するアイコンとなっています。
熱気球がここまでもてはやされている理由は、魔法使いが現れた時の乗り物だったからです。
偉大な魔法使いの誕生秘話
原作ではドロシーたちに、熱気球についてオズ自身から語られるシーンがあります。
オマハで熱気球に乗り、サーカスの宣伝を行っていたオズは、ロープがもつれて空高く上がってしまいました。
気流に流され2日間空をさまよい、気が付くと美しい国の上空へたどり着きます。
熱気球はゆっくりと雲の上からおりていき、それを見ていた民衆は偉大な魔法使いだと思い込んでしまいます。
オズは純粋で善良な市民を騙し、魔法使いであると思わせました。
そして人々に都を作らせ、宮殿を建てさせたのです。
グリンダが一緒に行かなかった理由
ラストシーンでは、真実を知ったエルファバがグリンダも一緒に行こうと誘います。しかしグリンダは無言の返答を返し、エルファバは一緒についてこないことを悟ります。
グリンダはオズとマダム・モリブルが国民を騙し、権力を得ようとしていることを知っています。
それでもその力に屈することを選択しているのが、最後の曲「Defying Gravity」に綴られています。
歌詞の中では、今ならオズに謝ったら一緒にいることができる。エルファバが待ち望んでいた全てを手に入れることができると歌われます。
これを伝えるということは、グリンダ自身がオズに謝罪し、待ち望んでいたものを手に入れたいという欲求を持っているという事になります。
これは善悪、どちらが間違っているということではなく、「それぞれに正義がある」という、この物語のテーマがぐっと凝縮している場面でもあります。
この後にはマダム・モリブルがグリンダに包容するカットが差し込まれ、オズの側についたことが示唆されます。
その後のグリンダについてはパート2公開後に補足します。
グリンダが黒マントを選んだ理由
エルファバとグリンダがそれぞれの道を歩むことを決心したあと、グリンダはエルファバが震えていると着るものを探しに行きます。そこで選んだのが黒い大きなマントです。
この部屋には他にも服がかかっていました。それでもグリンダは黒いマントを選んだのです。
これは映画的な都合からすると魔女の服装を完成させるためではありますが、ストーリーとして読み解くと、エルファバのために最後までコーディネートをしたのではないでしょうか。
エルファバはグリンダたちの悪ふざけではあったものの、後に黒くてダサい帽子はエルファバの象徴となりました。
場面ごとに華やかな衣装チェンジをするグリンダに対して、エルファバは一貫して黒い衣装に身を包んでいます。
それを理解していたグリンダは、ダンスの時のように恥をかかせるのではなく、エルファバに最も似合う色、黒のマントをつけてあげたというのが正解ではないでしょうか。
ほうきに魔法がかかった理由は?
衛兵たちが迫り逃げ場を失った二人。エルファバはグリムリーを再び開き、浮遊の魔法を唱えます。
恐らくここでは自分自身に魔法をかけたのでしょう。直前にチステリーに魔法をかけ、苦しんだ末に羽が生える場面を見てはいたものの、グリンダを逃がすためにも犠牲になろうとしたのではないでしょうか。
しかし魔法はほうきにかかり、そのほうきを持って飛び出すのでした。
グリンダが原因かも?
ほうきに魔法がかかってしまった理由は、エルファバの魔法がまだまだ未熟だったからもあるでしょう。ですがこのシーン、よく見ると、グリンダが呪文の途中で遮っているように思えます。
本来は自分にかかるはずだった魔法を、グリンダが途中で邪魔したせいで失敗し、ほうきに魔法がかかってしまったのが正解ではないでしょうか。
黒い服、とんがり帽子、黒マントにほうき。ついに邪悪な魔女「ウィキッド」が完成するシーンではありますが、決意を固めた彼女の表情から、不思議と清々しさを感じる場面でもあります。
最後にエルファバが飛行するシーンでは、オズの国中が停電します。つまり彼女の怒りのパワーが、かつてないほど強い魔力を発動させたことが描かれ、魔女としての素質が完成したことがわかります。
以上、パート1となる「ウィキッド ふたりの魔女」の解説でした。
パート2「ウィキッド フォー・グッド」(原題)は、今作と同時に撮影が行われており、2025年11月21日にアメリカで公開予定とされています。
パート2が日本で公開されましたら、ここに追記します。
最後に、ウィキッドをより楽しむための関連作品を紹介します。
オズの魔法使い(原作)
1900年に出版されたライマン・フランク・ボームの児童文学で、ウィキッドのベースになっている作品です。
児童文学でありながらも、魔法はそれぞれの人の心の中にあることが描かれていて、自分の可能性を失ってしまっている現代人の大人たちにも響く作品です。
たくさんの本が出ている中でも、1974年に出版されたハヤカワ文庫の本は、いまだに販売が続けられています。
古い言い回しが出てきて時代を感じさせるのですが、カジュアルではないおかげで、オズの世界観を堪能しやすくなっておりおすすめです。
ぜひ一度読んでみてください。
オズの魔法使(映画)
ジュディガーランド主演で1939年に上映された映画で、有名な「虹の彼方に」が歌われた映画です。
ウィキッドと同じくファンタジーミュージカル映画という共通点があります。
ウィキッドは原作小説のみならず、この映画も題材として取り入れられています。
小説とは一部表現が変わっていたりしますが、非常にわかりやすくコミカルに作られており、ウィキッドと共に観ておきたい映画の一つ。
モノクロからテクニカラーに変化する演出にも要注目です。
オズ はじまりの戦い
2013年に上映されたディズニー映画で、サム・ライミが監督しています。
ウィキッドはオズの魔法使いの前日譚ですが、今作はウィキッドの前日譚的位置づけで、オズが魔法の世界にやって来る話が描かれます。
悪い魔女と良い魔女が登場するのですが、魔女はセオドラとエヴァノラという名前で、グリンダも登場します。ほかにも羽の生えた猿も出てきます。
グリンダがすでに魔法使いとして登場するなど、時間軸的にはずれるのですが、オズが奇術を用いて戦うことや、サーカスにいた過去、熱気球で飛ばされること、ペテン師でお調子者なことなど、オズの人間性が理解しやすい映画なのでオススメです。
ウィキッド(サウンドトラック)
映画内の歌をすべて収録したサウンドトラックの日本版です。
日本盤のボーナストラックとして、ダンスシーンでエルファバがグリンダとダンスする時のBGM、「Popular」と「Defying Gravity」を短縮エディットしたバージョンが含まれます。
配信にはない対訳も付属しているので、世界観をより堪能し、歌の意味を深く理解したい人にはオススメです。
ブロードウェイ版も出ているのですが、挿入されるセリフは同じ様に編集されています。
ブロードウェイ版が20人規模のオーケストラで演奏されていたものを、映画版では100人規模で演奏しており、1曲目の「No One Mourns the Wicked」から迫力が全然違うので、映画版は必聴です!